文章を書くのは、自分の考えをまとまるため。だな、と思います。
ブログでも、日記でも、悩み事も、
歌詞を作るときも、ラジオの台本を書くときも、そうです。
伝えたい思いや、考えたこと、感じたこと、は有れど、
言葉に表すのはなかなか難しいものだ、といつも思います。
わたしは特に、会話の中での表現が苦手なようで、
質問が「パン」ときて「ポン」と回答できない事がよくあります。
もとい、表面上は「ポン」と返しているのですが、
よくよく考えるとそれが「真意でない」ことが、ままあります。
「嘘」ではないのですが「真意でない」
本当はもっと「こう伝えたかった思い」があるのに
会話の流れの速さに、自分の思いにすら気づけないことがあったり、
癖で伝わりにくい言葉を選んでしまうことが、意外と多いなと思うのです。
下手をすると、全く逆の意味になってしまう事もあります。
だから、練習の意味もこめて、文章を書くようになりました。
元々書くことは好きでしたが、ただ好きで書くのではなく、
「これは本心かな?」
「この順番で伝わるのかな?」
「もっと適切な表現はないかな?」
と気をつけながら書くようになりました。
私にとってそれは、とても難しい事ですが、
言葉の海に潜って、適切な言葉を探し当てた時、
安堵にも似た嬉しい気持ちが沸き上がってきます。
幸い、書くことは、会話と違ってマイペースに進められます。
間違った表現をしても、あとで書き直すことができます。
文章を完成させて、一晩寝て、起きて、生活を営んでいるうちに、
「あ、やっぱり、こうした方が伝わりやすいかも」
と気づくことも、とても良くあります。
書いて、修正して、書いて、という作業に慣れるように、
何度も何度も繰り返し、文章を書くようにしています。
一度書いた文章を、考えを、歌詞を、
もう一段、深堀りして、熟成していくイメージです。
そうして出来上がった言葉は、
安心して使うことができる気がしています。
このブログも、そうです。
最初の投稿で「表現の一つ」なんてカッコつけたことを書きましたが、
本当はきっと「言葉の練習」です。
数本書いてみて心底そう思います。
最初の投稿を、書き直してしまいたい衝動に駆られています。
ですが。ブログは個人的な日記と違い、誰かが見てくれているかもしれない物なので、一度発信したものはできるだけ、あとから加筆修正しないでおこうと思います。(歴史的事実と異なる場合を除いて)
修正できない緊張感をもって発信することの練習として…。
(これもまた練習…)
言ってしまったことは取り消せない
書いてしまったことは消せない
その条件下で「今の思い」をまとめる、
そういうスピード感も必要かな、と思います。
「思い」というのは生もので、
一度深堀りして「出来上がった言葉」が
「永遠の答え」ではないことも確かです。
だからこそ、瞬間瞬間で、
自分の真意をとらえて、
素直に伝えることができたらいいな、と夢みています。
・・・
ここまで書いて、終わりにしようと思い、
読み返して思ったことを、メモします。
もしかしたら、「素直に伝える」という事と
「率直に言う」という事は違うのかも。
話の流れがあってこそ、「伝わる」のかもしれないなぁ。
うん。そうかもしれない。