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時間の流れを操る

時間の流れは一定ではない。

 

退屈な時間はゆっくり流れるのに、

楽しい時間はあっという間に過ぎる。
それは小学生くらいの時から感じていたことだ。
それとも少し違った、
時間の流れのお話。
とにかく暑かった今年の夏の、
ものすごい雨が降っていた日。
私は大好きなお気に入りのカフェに
とても久しぶりに訪れた。
ずっと「行きたいなぁ」と思っていたのだけど
春に引っ越しをして、息子は保育園に通い始め
とにかく新しい生活に慣れるべく追われる日々で、足が向けられなかった。
でも、そんなある日、
分刻みのスケジュールの一日、
とんとんとスムーズに予定が進み、
ぽっかりと、そのカフェを訪れる時間が生まれたのだ。
その日は大雨で、
素敵なカフェに珍しくお客さんがゼロ。
「今日はもう、誰も来ないでしょうから」と、
マスターが、一番景色の良い四人がけの席を案内してくれた。
私はこのカフェに訪れる時はいつも一人なので、
一番小さい二人がけの席しか使ったことがなく、
店内に一つしかない四人がけの席は
いつも他のお客様が使っているのを眺めていた。
その、四人がけの席で、
他に誰もお客さんが居ないお店で、
コーヒーとチョコレートケーキのセットを頼み、
静かに流れるBGMの音だけが聞こえる。
心地よい静寂だった。
私は、ひたすら窓の外を見て、
景色を味わい、
マスターが淹れてくれたコーヒーと
ママさんが出してくれたケーキを味わった。
意識がギュッと濃縮されたような。
自分もその景色と一体となったような、
BGMの音さえ聞こえなくなるような、
静寂が訪れた。
ただ、ひたすらに、味わう。
とにかく毎日が慌ただしく、
賑やかなものだから、
静寂の中にいるその時間に
とてつもない満足感を得て、
そろそろ行こうか、と
ふと時計を見たら、
入店から20分も経って居なかった。
気持ちの面では、
1時間くらいのんびりした気分だったのに!
その時間の密度は明らかに、
日頃、私が感じている濃度と違った。
本当に「大満足」の字の如く
大いに満ち足りた、のだった。
この感覚に、いつでも没入できたら。
どれだけの濃度で、生きられるか、
計り知れない。
日々のことに追われて、
掴みどころのない時間を過ごしてしまいがちだけれど、
あの雨の日に、この感覚を体験できたことは
この上ないギフト。
あの感覚を忘れないように、
時折思い出して、没入できるように。
日常も、味わって、生きていきたい。
【追記】
子供の頃に、あんなに時間が長かったのは
毎瞬、毎瞬、味わって生きていたからかもしれない。
三歳の息子を眺めていると、
そんな風に思います。^_^